現在駄菓子として販売されている商品は一口では括れないほど多様性があります。巷に溢れる駄菓子の紹介本ではそれぞれの著者が思い入れをこめて独自の立場から取り上げていますが、この記事では、全体の概要のご紹介という趣旨で、機械的ではありますが、原料や製造方法から分類し、説明しています。
1:梅、すもも、あんず
通常の菓子の分類から言えばお菓子ではないでしょうが、駄菓子屋の駄菓子と言えばまずこの項目が取り上げられます。
そもそも「菓子」の語源は「果物(木の実)」からうまれたものですから、現在のような飴、チョコ、スナックより歴史のあるお菓子です。
2:焼き菓子
カステラ、クッキー、ビスケットなどがこれにあたります。材料は小麦粉で卵やふくらし粉を混ぜて焼くと、菓子の中に二酸化炭素の気泡ができ、ふっくらと焼きあがります。一度焼いてもう一度焼いたものがビスケットやラスクになります。
3:菓子のくじ
かつては大当てといって箱入れの高額なお菓子がいろいろ当たって豪華版でそれが楽しみでしたが、最近は食品法の制限があって、各種バラエティーに富んだ商品を賞味期限で管理することが難しくなってしまい、この大当ては姿を消してしまいました。現在の菓子くじは単一のメーカーが同じ商品を使ってあたりやハズレにしたり、連続当てといって、当たったらもう一つという方式が主流になっています。
昔からのくじではパチンコのように上からガムが落ちてくる玉出しガムや、糸を引いて飴の大小があたる糸引き飴は今でも健在です。
4:ふくろ詰め菓子セット
本来駄菓子は一つひとつ吟味しながら選んで買うのが楽しいのですが、種類が多すぎて、いちいち選ぶのが大変だと思う人には袋詰めセットがお勧めです。また販売促進やイベント景品用としても広く利用されています。但し菓子の種類ごとに賞味期限の長さが違うため、注文をお受けしてからの製作なるので、前もっての予約が必要となります。
5:飴、キャンディー
飴と言えばお菓子の代名詞でもあるくらい、お菓子の中で一番中心になるのが飴やキャンディーです、甘いということがまずお菓子の第一条件なのです。飴の材料は水あめや砂糖です。水あめはでんぷんに麦芽を作用させて作ります。白米をオカズなしで口の中でかんだときの甘さがそれです。また蔓植物の根からとれる「甘ズラ」というのも甘味の素材でした。これは平安時代の書物に記録があります。
しかし本格的な甘味は海外から輸入された砂糖で、江戸時代8代将軍徳川吉宗から普及します。原料はサトウキビです。水あめの成分はブドウ糖ですが、サトウキビから精製された砂糖の成分はブドウ糖と果糖の化合物で、この果糖が人間にとって一番甘く感じものです。果糖も体のなかで最後にはブドウ糖になるのですが、このブドウ糖は人間の生存にとって基本的な栄養素です。たとえば体が不調になって医者にいって点滴をうける場合まず大方ブドウ糖の点滴をします。さらに脳にとってもブドウ糖は必要不可欠でこれが不足すると最悪で死にいたります。おばあさんが口の中でよく飴をもぐもぐやっているのは、道理にかなっているのです。
6:チョコレート
チョコレートは明治時代に西洋から輸入されました。原料はカカオ豆で原産地はメキシコです。大航海時代にヨーロッパにもたらされ、本来の味は辛いものでしたが、砂糖をいれて加工され、王公貴族の嗜好品になり、それが明治時代に輸入され工業生産され、ついには駄菓子屋の店先に並ぶようになりました。
7:スナック
スナックやあられ類は小麦粉やトウモロコシの粉等を練って油で揚げたものです。現在駄菓子のなかで一番売れているのがこの分野です。しかもその中で一番はなんといっても「うまい棒」です。世代や性別をこえて人気があって、いまや国民的駄菓子といってもいいでしょう。アメリカでは「カウチポテト」といってクッションにすわってテレビを見ながらたべるのはポテットチップスですが、日本の場合は「うまい棒」ということでしょう。
うまい棒の原料はトウモロコシです。麩菓子は小麦粉のグルテン(たんぱく質)を焼き上げ回りに黒砂糖かけたものです。昔は「さくら棒」ともいっていました。古い菓子でいろんなメーカーがつくっていてそれぞれ味が違うのが特徴です。スナック類は比較的低単価なのに、嵩張って見栄えがいいので、販売促進や景品用にも広く利用されています。
8:ガム
口の中にやわらく弾力のある物を含んでクチュクチュ噛むには人の本能だとも言われています。中南米にはゴムの木と同じく、弾力がある樹液を出す樹木があって原住民たちはこれを噛む風習があったようです。この樹木はサポティラの木といい、この木から得られた天然樹脂はチクルと言います。原型は味がなく、19世紀になって砂糖や香料を加えて菓子としてアメリカでつくられ、その後工業的に生産開始となりました。
日本には明治末期に大阪でチューインガムが初めて生産された様です。本格的な普及は第二次世界大戦後のアメリカ進駐軍がもちこんだチューインガムが日本の子どもたちに人気を博したことによります。現在ガムは機能食品(たとえば虫歯予防、ストレス解消など)と捉えられていますが、駄菓子としてのガムはたとえば風船ガムのように単なる食品としてのガムに限らず、遊びの要素が含まれているものです。
9:粉末ジュース
材料は飴やキャンディーと同じようなものですが、製造方法が違います。砂糖、ブドウ糖、香料などを使って顆粒状にしあげます。ジュースやソーダ水を重い飲料水ではなく携帯に便利な粉末で用意するといった機能性を目指した商品ですが、それに加えて飲むことと同時に遊びの要素を加味した駄菓子ということになります。
シニア世代の方なら覚えているでしょうが、昭和30年代、希代の喜劇王のエノケン(榎本建一)によるTVコマーシャル「渡辺のジュースの素ですよ」台詞が一世を風靡しました。その当時粉末ジュースは日本中でメジャーな商品だったのです。
10:ゼリー、グミ、餅
ゼリー類の原料は基本的には砂糖、水あめ、ゲル化剤です。ゲルとは化学用語で物質の状態をいう言葉で、でんぷんに多量の水を加えて過熱していき、温度に達すると糊状態になります。さらにここから熱を奪うと糊状の粘性を失いプヨプヨしてきます。これがゲル状態です。こういう状態を作り出す代表的な材料としてたとえば動物ならゼラチン、植物なら寒天などがあげられます。これらに香料や添加物を加えると独特の触感となります。
水分が他の菓子に比べて多いのも特徴です。興味深いことに日本と西洋のグミとでは味が違います。日本のは甘く、西洋のは甘くありません。これには理由があります。グミが考案されたのは20世紀前半のドイツです。目的は乳幼児の歯固めです。しかし日本には伝統的な歯固めの食品がありました。その食品はなんと海産物で代表的なのはするめイカで、他に煮干しや、干昆布などが江戸時代から食されていました。グミが日本に入ってきたとき、本来の目的のお菓子ではなく、甘味付けたお菓子にしてしまったのです。マシュマロの伝来についても興味深いエピソードがありますが、この話は「駄菓子の歴史」で後日投稿の予定です。
11:ヌードル
ラーメン、うどん、やきそば。インスタントラーメンは新しい駄菓子です。終戦後に日本の発明で世界的な商品になったインスタントラーメンの子ども向けバリエーションということになります。製法は本来の即席ラーメンと同じように小麦粉を細く伸ばして油であげたものですので、気軽に携帯できる食料ではありますが、通常の駄菓子に比べて賞味期限は短いです。
12:イカ、珍味、海産物
島国である日本は伝統的に海産物、加工食品の宝庫でした。当然この伝統は今でも受け継がれ子どものおやつにも普及しています。もちろん食品加工技術も昔比べて進歩していますので、異なった素材でも似たような面影を残しています。これらなかで昔の素材そのままで今に伝わる昆布が大阪製であるのも興味あることです。
江戸時代は鎖国の時代と言われています、実はオランダ、朝鮮、清(中国)とは交易をしていました。江戸の初め日本は金や銀の世界有数の産出国でした。金や銀は貿易の決済に使うのですが、次第に金や銀が大量に海外に流出するようになってしまったので、その不足を埋めるために、俵物三品(いりなまこ、干しアワビ、フカヒレ)と言われる有力海産物を清(中国)に輸出しています。また物資の輸送についてですが、現在日本海側は裏日本、太平洋側は表日本などと言われることがありますが、それは明治時代以後のことであり、太平洋岸は波が荒く、当時の航海技術では日本海側がメインの海路になっています。東北地方、陸奥での年貢米は千石船に乗せて日本海から関門海峡、瀬戸内海を経て大阪に入港します。江戸は政治の中心地ですが米経済の江戸時代は大阪が経済の中心地でした。年貢米や海産物の集積ということで大阪に干昆布も集まりました。そのつながりで、昆布の加工品が大阪製なのです。
13:せんべい
米や、粉末を練って固めて乾燥して油であげたり焼いたりしたお菓子です。「スナック」の分類基準とほとんど変わりませんが、単純に「スナック」と呼ぶには多少ニュアンスが違いますのであえて区分してみました。「スナック」はどちらかというと西洋的で「せんべい」は日本や東洋の伝統的なイメージです。
さらにやっかいなことには日本語で「餅」は中国では「ビン」といって日本の餅ではなく「せんべい」に近いのです。そういう理由でこの分類をしました。ポテトフライはジャガイモの粉末を焼いたものだし、ミルクせんべいは小麦粉焼いた物です。
14:ラムネ、ミンツ
材料は飴、キャンディー類とほとんど同じですが、重曹や酒石酸など炭酸(二酸化炭素)を発生するような材料を加えてあるので、素直な食品というより遊び心のあるお菓子と言うことになります